空気中の酸素を取り込むことで高分子化し、固化する性質(酸化重合)を持つ油。この性質を利用して、古くから油彩画の定着材(バインダー)として利用される。
この酸化重合プロセスは通常1年程度の間におおむね完了し、その後、100年ほどかけて完全に終息する。
指触乾燥直後の油彩画にワニスがけが適さないのは、半年~1年までの間は活発な酸化重合過程にあり、油絵具の塗膜が顕著に動くためである。この間に画面の保護が必要な場合は、なるべく通気性のあるワニスを使用し、その呼吸を妨げないようにする。
乾性油は、種類による差はあれど、時間の経過とともに黄変する傾向がある。黄変傾向は暗所で顕著に現れやすい。黄変した乾性油は、明るい場所にしばらく置いておくと元の色に戻る性質がある。(油彩画に関しても同じ)
種に含まれる油を得るためには、物理的な圧力をかける「圧搾法(Cold Pressed)」、n-ヘキサンなどの溶剤を使用する「抽出法」、両者を併用する「圧抽法」など、種の種類や含まれる油分に応じて様々な方法で搾油される。
工業的にn-ヘキサンなどの溶剤を使用して抽出された場合、油の色が濃く臭気があるため、溶剤分の除去および、活性白土などによる脱色工程が必要となる。店頭で入手できる乾性油は、これらの精製工程を経た状態となる。
リンシードオイル(Linseed Oil)亜麻仁油
亜麻の種子(Flax Seeds)から得られる乾性油。乾き切りが良く、乾燥後はベタつきの少ない堅牢な塗膜を形成する。その反面、黄変しやすい傾向がある。
溶剤抽出法と併用したRefined (Purified) Linseed Oilとして得られることが多いが、圧搾法のみで搾油されたCold Pressed Linseed Oilも存在する。
Cold Pressed Linseed Oilは、Refined Linseed Oilよりも乾燥が穏やかだが、僅かに黄変が少ない傾向にある。
油絵具を手作りしたい場合は、顔料とのなじみの良いCold Pressed Linseed Oilが適する。
ポピーオイル(Poppy Oil, Poppyseed Oil)罌粟油、芥子油
罌粟の実(Poppy Seeds)から得られる乾性油。黄変はリンシードオイルよりも少ないが、乾燥は遅く、乾いた後もしばらくベタ付きが残りやすい。塗膜はリンシードオイルほど頑丈ではないので下塗りにはあまり適さず、塗り重ねる際の計画が必要。黄変が懸念される場合、描き始めはリンシードオイルを使用し、仕上げに近付くにつれてポピーオイルにシフトしていく方法もある。
油絵具を練る際は、白、青など、黄変によって影響の出やすい色にポピーオイルが使用され、黄変の目立たない濃色においては、リンシードオイルが使用される場合が多い。コバルト、マンガン系のシッカチフ(乾燥促進剤)の添加によって乾燥の遅さを補うことが出来る。
サフラワーオイル(Safflower Oil)紅花油
画用に適するハイリノール種の紅花の種子から得られる乾性油。CTec Lab.の試験では、乾燥性、黄変性、堅牢性については、ポピーオイルと同等の性能評価が得られた。
生産量の少ないポピーオイルが高価であるのに対し、食用に大規模栽培されるサフラワーオイルは安価であり、ポピーオイルの代替として工業的にも使用されている。工業製品では問題になることはないが、ポピーオイルに比べて、サフラワーオイルは一部の土性顔料において濡れ性が悪く、絵具を作る際に分散しにくい事がある。
ウォルナットオイル(Walnut Oil)胡桃油、クルミ油
胡桃から得られる乾性油。18世紀フランス、イタリアなどで盛んに使用され、かつてはリンシードオイルと共に頻繁に用いられていた。
性質はポピーオイルに似ているが、わずかに乾燥が早い。しかし乾き切りは悪く、特に湿度の影響を受けてベタつきが長期間生じやすい傾向にある。
圧抽法で得られる他、Cold Pressed品も存在する。
乾性油に加工を施す事で、様々な描画技法に特化した性質を与える事ができる。例えばサンシックンドオイルは、天日と水に乾性油を晒す事で、粘度が高いにも関わらず、筆伸びが良い性質を併せもつ。
こうした工夫は古くから行われており、未加工の乾性油に比べて光沢が高い、乾燥が早い(あるいは遅い)などの特性があり、自家製の画用液を調合するもにも適している。
サンシックンドオイル(Sun-thickened Oil)日晒し油
乾性油を数ヶ月間、空気、日光、水に晒し、自然酸化重合を進めて粘度を高めたもの。水を張った容器に油を浮かべ、太陽光に晒せば自作もできる。時折水と油をかき混ぜ、乾燥皮膜が出てくる頃を目安に完成とし、水と油を分離させて油のみを回収する。出来上がった直後はperoxide(過酸化物)を含んでおり、そのまま瓶詰めして保管すると内圧が増して破裂する事がある。長期保管する場合は、100℃~150℃程度で気泡が出て来なくなるまで油を加熱処理することで対策できる。
酸化が進んでいるため、未加工の乾性油と比べ、乾燥が早い。長期間水の作用を受けており、粘度が高いのにもかかわらず、極めて筆のびが良い。また、テンペラグラッサや半吸収性下地などを作る際、エマルションを形成しやすく、水とのなじみが比較的良いことでも知られる。
スタンドオイル(Stand Oil, Polymerized Oil)重合油
空気を遮断して(真空ではない)200~250℃程度で自己重合させたオイルで、極めて堅牢な乾燥塗膜を形成する。重合時の空気の流通が無いため、サンシックンドオイルのように酸素と結びついていない。重合度が高いスタンドオイルほど粘度は高くなり、乾燥が遅く、黄変しにくく、筆伸びは悪くなっていく。
ボイルドオイル(Boiled Oil)ボイル油、煮亜麻仁油
スタンドオイルとは異なり、空気を吹き込みながら加熱したオイル。加熱する温度や時間の長さによって、色や粘度が違ってくる。低温であっても長時間ボイルすれば粘度は高めになり、短時間でも180℃近い高温であれば色が濃くなる。
黄変は強いが、堅牢な塗膜を形成する。未加工のオイルよりも乾燥が早い。また、シッカチフを加えてボイルしたものは塗料としても用いられる。
ブラックオイル(Black Oil)
乾性油に鉛(一酸化鉛や鉛白など)を入れ、高温で長時間ボイルしたオイル。鉛は高温下で乾性油中の脂肪酸と結びつき、リノール酸鉛、ステアリン酸鉛などの脂肪酸鉛を生成する(冷えると一部が析出し、沈殿する)。これらが乾燥促進成分として作用し、優れた速乾性を与える。
現代のようなシッカチフが工業的に生産される以前は、専らブラックオイルが速乾性画用液として用いられた。現代のシッカチフが添加剤として用いられるのに対し、ブラックオイルはそのまま画用液として描画に適している点において、両者の性質は全く異なるものと言える。
CTec R&Dの試験では、ブラックオイルのレオロジー面での作用を利用して油絵具の練成を行った。結果、生の乾性油を使用した場合よりもコシ・キレ性を保ち、顔料分散性においてもより良好な結果が得られた。
ブラックオイルは、マスチックワニスと混合するとMegilp(メギルプまたはメジルプ)と呼ばれる、チキソトロピー性の強いゲル状のメディウムを作る事ができる。現代のような盛り上げメディウムが現れる以前は、Megilpがその役割を担っていたと考えられる。
Megilpがゲル化するメカニズムはよく分かっていない。CTec R&Dによると、鉛、マスチック樹脂、ターペンタインのいずれかが欠けてもゲル化せず、また、それらの要素が揃っていても酸素が存在しない環境下においては、混合物がゲル化しない事が分かっている。引き続き研究対象としている。